PART1 Chapter1 –Trip-

<前編>
 茂上ハルキがITTA−国際タイムトラベリング協会日本支部に呼び出されたのは11月5日の昼過ぎだった。
 正確には、2101年11月5日。ちょうどチームで手がけていた研究の報告書を提出し、一週間の休暇から開けたところだった。
 普段は富士山を望む山中の広大な研究施設で10〜15人単位のチームで研究している。今回の呼び出しはイレギュラーだ。普段研究所で着ている白衣も、ビジネススーツも持ち合わせぬままに、休暇そのままの私服姿で向かうしかなかった。
 休暇を利用して御茶ノ水に趣味のアンティーク楽器を物色しに来ていたところに研究所長直々に連絡が入った。曰く、休暇が明け次第新宿にあるITTA日本支部に出頭すること。チームメイトが皆、休暇で皆故郷に帰ったり遠出したりしているところを、ハルキだけがたまたま誰と過ごす予定もなく久しぶりに東京の空気でも吸おうかと一人都内をフラフラしていたのがバレたのだろうか。(ちなみに研究員はいざという時のためにGPSで居場所を常に把握されている。といっても、官庁企業の別なく大きな組織ではそれが当たり前のことになっているが)
 いずれにせよ、2101年11月5日13時、茂上ハルキは新宿にあるITTA日本支部にいた。
 指定されたのはいつもの会議室ではなく、50階にある10人がけの応接室。
 マホガニーの扉を開けると、ハルキが密かにマッドサイエンティストの称号を与えている所長が正面の窓の前に立っていた。白衣の下に同じくらい長い黒いシャツを合わせ、茶と赤のチェックのパンツに履き込んだ革スニーカー。決して長身ではないが、細身の体躯のせいで実際より背が高い印象を受ける。青白い肌は不健康に張りがない。年齢の割には多い白髪混じりの髪が伸びすぎて、前髪は鼻に掛かっているし、襟足は無造作に結わえられている。ブラインド越しの午後の日差しが丁度逆光になって、こちら向きの所長の表情が影になり、銀縁の眼鏡だけがぎらりと光る。
 今日もマッドな雰囲気醸しちゃってるぜ、と心の中で苦笑いしつつ、ハルキは軽く頭を下げる。
「お久しぶりです。……ここ、座っていいです?」
 マッドの理由は見た目だけではない。研究所で行われている千以上のプロジェクトのすべてを把握し、彼にしかわからない基準で判断し、コントロールしている。恐らく彼には、実験結果が出る前にその結果が見えているのだ、とハルキは思っている。
 その所長はハルキに応えて、手振りで窓に向かって中央のソファーを勧める。
「かけ給え」
 挙動がどこか大仰だ。余程畏まった内容の話題なのか。人事異動には季節外れだが、手掛けている研究は先週の報告書で大体の目処は見えている。ということは次のプロジェクトの相談か……それにしてはわざわざ応接室へ通された意味が解せない。
「所長、今日は一体……」
「今にわかる。君にとっても悪くない話だ」
 ハルキの頭の中ではITTAに来るまでの間に聞いていた音楽が鳴っていた。不安を掻き立てるテクノサウンズ。最近好きな曲だが、このシチュエーションではいささか不安定に過ぎる。吉兆か凶兆か。
 数分の後、再び重いドアが開き、入ってきたのはITTA本部のバッジを付けた初対面の女性(北欧系の容貌と体つきだ)、ハルキの所属している「安定的ワームホール往還プロジェクト」の統括マネージャー、そして顔しか知らないがITTA日本支部長その人。そして明らかにITTA関係者とは異なる雰囲気をまとったスーツ姿の男が最後に続き、一番奥の上座に座った。彼の座るのを待って一同着席する。
 天井から床まで一面の窓を背に、5人がハルキと向い合って座っている。
 最初に口を開いたのはITTA本部の女だった。
「ハロー、Mr.モガミ、私はITTA執行委員のジェーン・スミス。あなたは安定的ワームホール往還実験の第一号被験者として推薦されています。推薦者はここにいる日本支部長と本プロジェクトマネージャーです。こうして全世界より推薦された数千名のリストの中から、我々ITTA本部であなたを選抜しました。勿論研究所での過去の実績や身体能力、精神のタフネスなどから総合的に判断しています。あなたは研究所に入った時点で選抜被験への全面同意契約書にサインしています。拒否権は家族及び配偶者による、代替不可能な事由による申立によってのみ発動されます。出発は2週間後。
 ……つまりあなたは、人類初のタイムトラベラーに選ばれた、ということよ」
 なんて唐突で乱暴な宣告だ。流暢で美しい英語が揺るぎなく事実だけを説明するのを、半分口を開けて聞きながら、ハルキが返す言葉を探していると、いつの間にか隣に座っていた所長が耳打ちしてきた。
「肚を括り給え。君に家族も恋人もいないことくらい調査途中で皆知っている。奥は科学省の大臣補佐だ」
「……つまり、すべて決定事項ってわけですね」

 結局ハルキは二週間後に旅立つことを承諾して息苦しい応接室から開放された。茂上ハルキの両親はハルキが20歳の年に事故で死んだ。兄弟も祖父母もなく、親戚も近くにはいない。女と付き合ったことがないわけではないが、もう何年も特定の相手は作っていない。つまり実験に協力するか、もしくは罷免となるか、二つに一つというわけだ。
 ITTAを出てふと見上げると、林立する高層ビルのつるりとした壁面が晩秋の薄白い青空を映している。外していたゴーグルとヘッドフォンをはめると、たちまち薄暗い灰色の世界に染まる。
 昼食を摂っていないことを思い出し、ハルキはとりあえず駅の中のカフェに入った。
 このカフェは世界展開しているコーヒーが売りのチェーン店で、少々高めの価格設定だがコーヒーの種類だけは多く、ビジネスマンを中心とした顧客層で同業他社の追随を許していない。
 カウンターでメニューを選び、頼んだ数のカプセルを受け取って席につく。カプセルの中身はメニューに含まれている栄養素を固めた錠剤だ。席には脳に直結して味覚・嗅覚・満腹感を与える装置が搭載され、選んだメニューに合わせてリアルな体験記憶を脳に送る。これにより繊細なコーヒーの香りと肉汁滴るバーガーを存分に味わいながらも、余分な脂肪やカフェインを摂取することなく、必要なビタミンやミネラル、植物性のタンパク質だけを摂取することができるのだ。この装置が普及してから先進国の平均寿命は5年上昇し、医療費も2割減少したという。
 食事だけではない。この技術は海や山のレジャー、旅行、絵画や音楽の鑑賞、セックスに至るまで、すべてに応用されている。溺れる心配なく海水浴を楽しみ、飛行機事故に逢うことなく海外出張し、世界遺産を眺め、オーケストラや美術館を独り占めできるのだ。
 ハルキはクロックマダムを頬張りながら(実際には糖分とタンパク質と繊維と不足しがちなビタミンだが)、90年前の世界を想像してみる。
 実験は、90年前の2011年、ハルキの曽祖父がちょうどハルキと同い年の時代につながるマウスに飛び込み、曽祖父と入れ替わって生活をし、3年後の2014年に2104年へ還って来るという内容だ。タイムトラベルのタブーのひとつである「歴史を変えない」ために、あちらでは一切「未来人」である素性は明かさずに生活することとなる。
 曽祖父の名は桜木リンタロウ。ハルキと彼は遺伝子構造がほとんど一致しているというのも、選抜の理由だった。職業は当時急成長したITエンジニアでハルキの専門外だが、当時の技術はたかが知れている。趣味は音楽、というところは似ているかもしれない。
 不安を感じないと言ったら嘘になるかもしれないが、プロジェクトの当事者だけに、実験の危険性や不確実性はもう分かり過ぎるほど分かっていたし、今更「決定事項」に逆らうメリットもモチベーションもない。
 ……本物のコーヒーと目玉焼きの味はどんなだろう?
 ハルキはそんなことばかりをぼんやりと考えていた。

<後編>
 2101年11月19日。今日の代々木公園はよく晴れている。
「じゃあ、またね、ラッキーボーイ!」
「その呼び名は戻ってきてからにしてくれませんか、レイナさん」
 乃木零那はチームの仲間だ。わざわざ富士山の麓から、チーム総出で応援に来てくれたのだ。
 そして面倒な事にこぢんまりとだが取材陣までもが構えている。国営放送とITTA本部の広報部に絞られているのは、万一の失敗に備えて大々的な報道は帰還まで控えるということか。
「茂上さん、人類最初の時間旅行者になる、心境をお願いします」
「ま、戻ってくるまでには考えておきますよ。……そう、音楽、生の演奏を聴くのが楽しみですね。ライブハウスに行ってみたいな。あとセッ……」
 言い終わる前にマッド所長にマイクを取り上げられる。
「えー、ITTAの日本支部から代表が選ばれるということは、日本スタッフの研究レベルの高さが評価されたためと誇りに思っております。ついては彼には是非無事に生還していただき、後の研究者たちにより多くの経験を残してほしいと切に願う次第であります」
 リポーターはこの当り障りのないコメントに満足したらしい。
 カメラマンは彼の目配せに頷いて、マウスの出現ポイントについて職員に説明を受けるために移動していった。
 ハルキの飛び込むマウスの出現場所の緯度経度はほぼ正確に計測されているが、それでも若干の誤差が生じる可能性はあるため、ある程度広い場所を確保する必要があるのだ。
 更に、人間が通れる大きさのマウスは実はまだ安定性が低く、一人通った時点で寿命に至り消滅してしまう。そもそも安全な質量を持つワームホールの場合、自然の状態ではマウスの大きさは極めて矮小である。この小さなマウスを、ワームホール内の質量を変えずに人間が通れるまでに広げる研究を、ハルキたちのチームは続けてきた。マウスの拡張は手動で行うため、プロジェクトチームのメンバーが研究所から呼び出されたのだ。そしてその貴重な実験用マウスに万一対象以外の人間が入ってしまったら元も子もないので、この日、付近一帯は立入禁止とされている。
 腕時計が15時を回った。そろそろマウスの出現予定時刻だ。
 出現予定地点を囲むように、7基のマウス拡張器を設置していく。
「緊張してる?」
 零那が小声で聞いてくる。
「別に」
「やり残したこととか、言い残したこととか」
「特には」
「……無事に戻ってね」
「2104年にね。みんなはその頃、何のプロジェクトをしてるのかな」
「このプロジェクトは2104年まで凍結ですって。やることといえばあなたが戻るマウスの安全を確保するだけ」
「ふうん」
 では、向こう三年間、自分だけがこのプロジェクトを遂行するというわけか。といっても、ミッションはただ「過去の世界で普通に暮らす」だけだが。
「戻ったらきっとちょっとしたヒーローよ」
「今はモルモットの気分ですけどね」
 柄にもなく自嘲的皮肉を言ってみたのとほぼ同時、上空が不意に歪んだ。
 空気が一瞬流れを完全に止め、それまで微風が吹いていたことに気付く。誰からともなく一斉に見上げる。立っている場所の気圧がかすかに軽くなり、歪みの中心がその分の質量を引き寄せているのを感じる。
 歪んだ空がゆっくりと近付いてくる。
 ワームホールだ。
 零那の合図で、マウス拡張器を一斉にマウスへと向けて照射を開始する。
 所長の手がハルキの肩にそっと置かれた。しかし、青白い光と紅い闇が交差し変幻するマウスの蠢きに目を奪われ、振り向くことができない。さすがの所長とて「それ」から目を離せていないはずだ。
 上空20m程のところに出現したマウスを7台中3台の拡張器が捉えた。照射された特殊な質量を持つ光線によってマウスの口がこじ開けられ、だんだんと広がりながら地上へと降りてくる。引き攣れた光の残像を撒き散らしながら曖昧に象られた輪郭の内はまるで夜空のような闇だ。
 マウスが十分に近付いてきたのを見計らって、所長は手を離した。それを合図に、ハルキは半ば観念し、半ば惹き寄せられるように、マウスへと数歩足を踏み出した。
 もう手を伸ばせば届く位置にぽっかりと等身大の闇を開けている。
 軋んだ時空の鳴き声を聞いた気がした。

 ハルキが片足を入れた瞬間、辺りを旋風が駆け抜けた。
「Good luck!」
 振り返った一瞬、零那が手を降っている。
 ハルキは別れの言葉を探したが、声は届く前に世界ごと掻き消された。

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