PART1 Chapter3

<前編>
 都心から電車で30分、海を見下ろす高台のアパートの二階。
 そこに、ハルキの曽祖父・桜木リンタロウは、友人のミナトとルームシェアをしていた。
 桜木リンタロウには男女問わず多くの友人がいた。
 その中でも親友と呼べる2〜3人のうちの一人がミナトだった。二人は大学時代のバンド仲間だ。
 ハルキが桜木リンタロウと入れ替わって生活するにあたり、桜木リンタロウに特定の恋人なり家族なりがいないことは非常に都合が良かったが、ミナトはある意味で恋人以上の存在感をもって桜木リンタロウの日常に深く関与していた。正直、ミナトにだけは勘付かれるんじゃないか?とハルキは内心ヒヤヒヤしていたが、幸い入れ替わった11月末から年末にかけての時期は二人とも何かとバタバタしていて、じっくり会話する時間も互いを観察する余裕もなかった。
 こうして、茂上ハルキは桜木リンタロウとして、2000年代で生きることになった。今後ハルキをリンタロウと呼ぶことにする。
 ミナトは平日は会社に出勤し、大抵はそのまま都内のスタジオでバンドの練習に入る。あるいは週に1〜2日は渋谷や新宿などで催されるライブに出演する。ミナトがギタリストとして所属しているバンドは結成してまだ数ヶ月だったが、順調にファンを増やしていて対バンの引き合いも多く、ミナトの帰宅はいつも終電近かった。
 一方のリンタロウは、ミナトが出勤する頃に起きだして熱いお茶を淹れ、それをゆっくりと飲みながらメールチェックと返信をする。昼過ぎには大抵お気に入りの街に出かけては、どこかのカフェで仕事を片付ける。(入れ替わったリンタロウにとって、一世紀も過去のシステム開発など専門家でなくても片手でこなせる程度のものだ)
 こうして当座の生活費を確保しつつ、余った時間はひたすら街を歩き回って過ごした。一日の大半を研究所で過ごしていた毎日から一変し、誰も知る者のいない街、本来自分が存在しないはずの時の中を闊歩するのは、それだけで、子どもの頃に戻ったかのようにわくわくする冒険だった。リンタロウは、見るもの聞くもの感じるものすべてが新鮮な発見と感動をもたらしてくれる過去の世界を、伸びやかに研ぎ澄ませた五感で思う存分に楽しんでいた。
 まずリンタロウが興味を抱いたのは食べ物だ。それまでカプセルと脳刺激の連携プレイで味わっていた食事を、この時代では実際に食物そのものを口に入れて咀嚼し、胃と腸で消化する。(最初は舌や頬の裏側を噛んで大変な思いをしたが、ようやく慣れてきた。だがまだ温度の感覚が掴みきれず、熱すぎるスープなどでたまに火傷をするのだった)
 なんとか味わえるようになると、同じ名のついたメニューでも調理法によって全く異なることが分かってきた。巧拙は勿論だが、一定以上の腕前を超えるとその先は調理人のセンスによるようで、立て続けに違う店で同じメニューを注文したり、記憶した香りをスパイス専門店で片端から嗅いで探しまわったり。その中から「好み」の味を見つけた時には嬉しくて誰かに伝えたくなるのだが、残念ながら恋人のいないリンタロウには食事に誘うような適材はいないのだった。いずれにせよ、脳のこれまで使っていなかった部分が活性化する感覚は、見知らぬ街同様に、それ以上に、リンタロウを十分高揚させた。
 三度の食事のペースが掴めてくると、次にリンタロウがはまったのは「茶」だった。入れ替わる前からリンタロウのキッチンには既に数十種類の茶葉と、紅茶・日本茶・中国茶の茶器が揃っていた。とりわけ紅茶のカップとソーサーは、ヨーロッパの繊細な趣向が凝らされたアンティークが一点物ばかり10客程揃っていて、ドイツに移住した友人に贈られたものだという。
 入れ替わった直後、試しに数種類いれてみたが、これがいまいち正解の味がわからない。なにせ、一杯に必要な茶葉の量、適切な湯の温度、湯を注いでから蒸らす時間、そういったコツが何百何千とある茶葉の種類によって違っていて、それらのどれかひとつがちょっとでも狂うと全く違う味になってしまうのだ。
「リンタロウさん、お茶いれるの下手になったね」
 たまたま休日で家にいたミナトに指摘され、さすがにその時ばかりは焦って、治りかけの風邪のせいにして文字通りお茶を濁したが。
 それ以来、暇があると茶の専門店を探しては入って試すという作業も日課に加わったのだった。

 日々の努力(?)の甲斐あって、年が明ける頃には過去の世界にもだいたい慣れてくる。そこで少し落ち着いて自分が入れ替わった桜木リンタロウという人物を彼の周辺から観察する余裕が出てきた。するとどうやら(というか事前情報でうっすらわかってはいたが)女性関係は「広く浅く」関わるという性癖があったようで、年末などは方々から連絡が入って面食らったものだ。
 だが誘われて断る理由もない。せっかくなのでと、かねてから舌と感性で見つけていたお気に入りの店に食事に誘い、或いは年上らしい女性に誘われるまま行ったことのない高級店を奢ってもらい、そのまま気分よく別れるか、或いはそのまま楽しく一夜を共にする、といった日が珍しくなくなった。
 実際、生身の女性とのセックスは楽しめるものだった。
 かつて居た未来でのバーチャルなセックスは、それは確かに完成された、且つ安心で安全に快感を得られるものだった。しかしこの世界の女の子たちは全く違っていた。その場の欲求や快感だけではないのだ。彼女たちは、その場限りと見せかけ、そう振舞っていても、最後の瞬間に「期待」のひと雫をリンタロウの中に落としていく。その夜最後のキスや、一瞬長く見つめる潤んだ瞳や、別れ際のハグや、そういったもので巧みにそれを表現する。
「本気で付き合ってくれるんでしょう?」
 言葉では表現されない一方的な約束。翌日や翌週、あるいはすっかり忘れた頃に来るメールや電話によって、鈍いリンタロウもようやく気付く。
 セックスが生殖や結婚とは切り離されていた時代から来た男にとって、これは初めての経験だった。セックスにそんなに重い意味があろうとは。
 しかし全員に誠実に対応するのはそれ自体不可能だ。だが女の子と遊ぶのはそれはそれで楽しいし、まだやめたくない。どうせ3年の期間限定。そもそも入れ替わる前の曽祖父桜木リンタロウだって、誠実な男とは到底思えない。
 そこで、リンタロウは諦めた。
 則ち「女性に誠実であること」を。
「俺、彼女とか、作る気ないから。音楽やってるから、バンドのファンの子たちの手前、特定の恋人は作れないんだよね」
 実のところ、ちょっと情けないことにミナトが女の子の告白を断っている台詞をたまたま聞いて真似をしたのだが、別れ際のこの一言で大抵は丸く収まることを発見したのだ。

<後編>
「で、リンタロウさん、バンドどうすんの?」
 横浜の春は早い。2月も終わり頃になれば寒さも弛んでくる。
 まるで船の舳先のような三角形の土地に建ったアパートの二階。一人暮らしには広いダイニングキッチンがついていて、その上の、天井の恐ろしく低い屋根裏は音楽機材の物置になっている。キッチンの奥にやはり広めのリビングがあり、二間に区切って使えるようになっている。
 珍しく家にリンタロウとミナトが揃った日曜日、春先の日差しも手伝って、遅めの起床から二人黙々と部屋の掃除をした後のこと。リンタロウは戸棚で硬くなっていたバゲットでフレンチトーストを焼いた。メープルシロップの染み込んだパンを齧りながらリンタロウは音楽雑誌を眺め、ミナトはギターを弾き、同じくリンタロウのいれたロイヤルミルクティーをすすっていた。新曲のコードをなぞりながら、ふと思いついたようにミナトが口を開いたのだ。
 ミナトが言っているのは、リンタロウが所属するバンドを先日抜けた件についてだ。桜木リンタロウは、ハルキと入れ替わる前から、ミナトとは別のバンドでベーシストとして活動していた。バンドの運営や曲作りの中心はリーダーとヴォーカリストが担っていたので、桜木リンタロウは純粋に演奏者として所属していた。リンタロウが入れ替わっても、その付かず離れずの距離感が幸いしたのか特に気付かれることもなかったので、そつなく活動を続けていた。
 そのバンドから、年明け早々抜けた理由は色々とあったが。
「うーん……考え中」
 我ながら歯切れの悪いリアクションだ。しかしコイツは親友だと思い直す。恐らくは未来に戻るその日まで付き合いは続くだろう。だとしたら素直なところを話せる間柄を保っておいたほうがいい。
「俺、自分のバンドやろうかなと思って」
 一瞬、ギターの旋律が止まる。リンタロウが顔を上げると、曲の続きを弾きだしたミナトとまともに目が合う。
「や、いんじゃない?でも誰と?」
「エビスマルに声掛けた」
「……エビ……ってあの!?」
「うん、あいつの作る音が欲しくて」
「いや、確かにあいつうまいけど、でもあいつ東京いんの?」
「いいや、これから呼ぶの」
「マジで!?あいつ地元出たことないでしょ?てゆうか仕事とかないでしょ?」
「うん、だからさ、俺が雇う」
 今度は本当にギターが止まった。

 実はリンタロウは、曽祖父桜木リンタロウが自作した曲の欠片たちが詰まったファイルを随分前に見つけていた。そのファイルの底に彼が書き残していた構想はこうだ。
 桜木リンタロウは上京後、色々なバンドを転々として、ギタリストやベーシストとして活動していた。演奏するのは大抵他人が作った曲だったが、最初はそれで充分楽しかったし、テクニカルな演奏力や豊富な機材知識も買われていた。
 しかし日を追うごとに、彼の中で違う旋律が鳴るようになってくる。
 それはもっと重い、男性的なヘヴィな音で、しかし緻密で計算高い構成を組み上げる。複雑な数式が織り上げる美しい幾何学模様のような。誰もが少年の頃に夜空を見上げて、科学と神秘の果てしない広がりを感じては圧倒される、そんな音楽にしたい。
 だが、都内でいくつかのバンドで活動している間には、そんな構想に同調し、更に実現するのに必要なスキルのありそうなパートナーには出会えなかった。そこで、彼は人材発掘のアンテナを広げた。
 北国の長い冬、曽祖父桜木リンタロウが故郷の大学で仲間たちと音楽だけに浸かっていた日々。エビスマルはそんな時代の後輩の一人だ。パートはドラム。好きな音楽も似ているし、プログラミングの知識も豊富。桜木リンタロウはかねてより、自分が求める音を一番深く理解し、更に進化させる感性を持っているのは、エビスマル以外にいないと信じていた。
 エビスマルの詳細なプロフィールは、未来から持ち込んだ桜木リンタロウの周辺に関わる膨大なデータベースから、比較的容易に引き出すことができた。
 エビスマルを呼び出し、ユニットを結成する。ギターとベースをリンタロウが、エビスマルはドラムとプログラミングを担当する。曲はそれぞれが、或いは合作で作る。ライブではさすがにギターとベース両方を1人では弾けないので、リンタロウはギターを弾いてベースは同期音源を駆使する。それでも十分な音量で演奏できるし、むしろ気の合うベーシストをあてもなく探すよりも思い通りの演奏ができるはずだ。

 黙って聞いているミナトにざっくりした構想を語り終えた所で、リンタロウは冷めたミルクティーで一息ついた。(勿論入れ替わりについては伏せた)
「……まぁ、そこまで考えてるなら。いいんじゃん?応援しますよ。で、リンタロウさんがアイツ雇うって、結構金かかるでしょ?こっちは家賃も高いし、それだけで生活できるのかな」
 ミナトが至極現実的な指摘をする。
「当面一緒に住もうと思う。生活費は俺が面倒見る。今結構大きな仕事がいくつか来てて金は余裕あるし。むしろ簡単なwebサイト構築とかなら手伝ってもらう。と、いうわけで、だ」
「?」
「俺、このアパートから出て行こうと思う」
「え、マジで」

 曽祖父のプランを見つけたときは、彼の志向する音楽のジャンルにちょっと興味があるかな、くらいのものだった。しかし2012年が明け、こちらの世界にも慣れてきて、リンタロウは若干退屈していたのもある。こなせるのをいいことに仕事の数を増やしてみたものの、3年しかいない世界で自分が使い切れない資産を作っても虚しいだけだ。なら、稼いだ金で何をするか?
 あらためて曽祖父の作曲ファイルを見直す……聴き直す。
——かっこいい、かもしれない。
 片端から聴いては、反芻する。あるものはサビだけ、またあるものはリフだけ。酷いものだと口ずさんだメロディの肉声がそのまま入っている。それらはすべてリンタロウ=ハルキの感性の奥の剥き出しになった部分を掻き鳴らしていく。
 どうしよう、続きが聞きたい。しかし曲になっていない断片たちはどうやってもそれ以上の音は奏でてくれない。何度繰り返して再生しても、同じ断片を忠実に再現するだけだ。どんなに手を伸ばしても、掻きむしっても、乳白色の厚い膜を張られたようにその向こう側を見ることはできない。
 とりとめのない、もどかしい感覚。どうすれば掴めるのか。
 眠っている曽祖父を叩き起こして続きを作らせるわけにはいかないのだ。彼の人生を拝借し勝手に操っているつもりが、これでは逆ではないか。
 リンタロウは——ハルキは思い知った。
——参ったな。……この音、好きだ。
 確かに同じ血が流れているのだ。

 新しいパートナーを呼び寄せるにあたり、今のアパートに3人暮らしはさすがに手狭過ぎる。3月に入って早速新居探しを始めた。
 ミナトとシェアしていたアパートの立地は気に入っていたので、そう遠くに越すつもりはなかったが、せっかくなので妥協はしたくなかった。音楽を本気でやるならスタジオ機能を持たせたい。防音は必須だ。最終的にターミナル駅前に建ったばかりの高層マンションのワンルームに決めかけた頃、もう1軒空きが出たという知らせが入り、下見に行った。
 そこは駅前の繁華街から歩いて数分、雑多な喧騒とは打って変わって古い静かな住宅地にある、二階建ての一軒家だった。一階はLDK……元は昭和の匂いのする台所と茶の間をリフォームでぶち抜いたようだが、フローリングにシステムキッチン完備で特に古さは感じない。二階には洋室が3部屋あり、それぞれ寝室に割り当てることができる。
 一階の例のリビングの一面は縁側になっていて、その先には庭があった。
 小さな庭越しに見下ろす家並みの向こうには海が広がり、時折汽笛が聞こえる。
 リンタロウはイメージする。遥か遠い未来、自分が帰るべき未来。都会には都会しかなく、かつて田舎と呼ばれた地方はゴーストタウン化している。
 3年後に戻ったらこんな風景は見られなくなる。そう思ったら、無性に庭付きの一軒家に住んでみたくなった。結局、新築高層マンションをキャンセルし、築数十年の借家を契約することにした。
 任務を忘れそうなくらい、リンタロウは高揚していた。なんともこの季節に相応しい門出ではないか。その気分に勢いづいたように一斉に桜が咲く。
 そんな2012年の春、リンタロウは弥生と再開した。
「リンタロウくん?弥生です。……もう忘れちゃったかしら?」
 運命に背を押されるように。

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