PART1 Chapter6 –未来への帰還-

<前編>
 渋谷から30分弱でタクシーは目的地に着いた。ひと気のない海岸の倉庫街の一角。二人はハルキが3年前に隠したコールドスリープを前にしていた。
 足元に横たわって眠る、見慣れない深海の生物のような、ぬめった銀灰色のコールドスリープ。寝息のように無音で明滅する青いランプ。
 ハルキが異変に気付いたのは、コールドスリープの『解除準備』の操作に入った時だった。
「……まずい、これは……」
 コールドスリープの中で、桜木リンタロウは息絶えていた。

 小雨はいつの間にか止んでいた。雲間からのぞく月明かりに自分そっくりの死者の青白い輪郭が浮かび上がる。東京湾内に澱んだ波が寄せるくぐもった音。重く漂う濁った海の匂い。
「……どうして……?」
 弥生の声でようやく我に返る。全く思いがけず死者と対峙し、思考が停止するほど動揺していたハルキの意識は、その一瞬冷たく清浄な水に洗い流されたように冷静さを取り戻した。
「恐らく、エアダクトの配線が途中でショートしたんだ……温度は低温に保たれているけど、窒素の割合が異常に高い」
 装置の状態を素早くチェックして原因を推定する。
 しかし何故、こんな故障が起きたのか?ハルキには見当もつかない。こんな事態は想定していなかった。当然ながらITTAへ報告し、指示を仰ぐ方法もない。
「いずれにせよ、死体は隠さなければ」
 呟いた声は自分のものではないような低い声になった。月が雲に隠れると辺りは一段と濃い闇に包まれる。闇の中で、更に冥い場所から漆黒の波が寄せる。
 口内がからからに乾いている。何か飲みたかった。
 そもそもリンタロウの存在を消すことはできない。ハルキはリンタロウの曾孫なのだ。リンタロウが消えると、ハルキの存在が宙に浮いてしまう。その場合、ハルキが未来に無事に戻れる保証はなくなる。時空のバランスを崩すわけにはいかない。
「リンタロウを死なせるわけにはいかない。ということは、俺がリンタロウのままでいれば、辻褄は合う」
 過去の世界で、これまで通りリンタロウとして生きる。
 それしか方法はない。
 この世界の、過去と未来のバランスを保つために。
「あなたがリンタロウのままこちらに残ったら……帰りのワームホールは、どうなるの?」
 恐る恐る、弥生が訊いてきた。
「予定通り現れる。俺の代わりに死体を未来に送ったら大騒ぎになるな」
「じゃ、ワームホールは無人のまま?」
「いや、ワームホールは必ず人間一人の質量を運ばなければならない。じゃないとマウスは消滅しないから、いずれそばにいる誰かを巻き込んで未来へ運んでしまう……丁度、君がこちらに来た時のように、」
 ハルキは顔を上げた。弥生の不安な顔と向き合う。
「弥生、」
 返事をする代わりに弥生は首を傾げる。
「未来には、家があるんだろ?家族は?」
 弥生の目が見開かれる。返答は声にならなかったが、顔いっぱいにたたえられた驚きと哀しみが、ハルキの意図が伝わったことを表していた。そしてそれが、彼女が微かに期待していた結末ではないことも。
「弥生、君が、還れ。未来へ」
 拒絶の叫びの代わりに弥生はゆっくりと瞬きをしたので、溜まっていた涙がこぼれた。
 ほぼ暗闇だった筈なのに、濡れた睫毛が伏せられてまた開く様子まで、その後数十年間ハルキの記憶に鮮やかに残っている。
「俺はこのまま桜木リンタロウとして21世紀に残る」
 こうして、この日を最後に茂上ハルキの存在は公式の記録から消えることになった。

 夜が明ける直前、桜木リンタロウを元通りコールドスリープの中に納めて永久に葬った。

<後編>
 どうしようもない想いは、しかし、言葉に紡ぐ前に崩壊してしまい、行き場をなくして、ただお互いの目に映る風景に漂う。
 ワームホールが出現するまでの短い時間、二人はただ抱きしめ合うしかなかった。
「……この瞬間が永遠に続けばいいのに」
 弥生は囁いた。
「時を止めることができたら、未来なんていらない」
「止まった時に存在し続けることはできないよ、弥生。未来は既に存在する」
 弥生の髪を優しく撫でながら、ハルキは呟いた。こんなにも愛しい存在になるとは思わなかった。しかしどうしても感傷よりも疑問が先立ってしまう。それは別れを惜しむ気持ちとは別の場所で冷たく計算を続けていた。
 ハルキは弥生の温度を感じながら、脳の底からゆっくりと沸き上がってきた小さな疑念を捕まえていた。一度覚醒した思考はめまぐるしく高速回転する。
(何か、意図が働いているに違いない……突然桜木リンタロウが死ぬなんて、偶然起こりうる事故にしては有り得ない……いやむしろできすぎているのだ。誰かにとって都合のいいように回った結果だと考えれば、この不自然な状況にも納得できる。きっとこの時空に、俺たち以外の介入者がいるに違いない。そいつは予め存在していたのか、それとも2014年より後に出現したのか……そして問題は何が目的なのか、だ。俺がこちらに残ることは計算内なのか?時空を歪めること自体が目的なのか、この先にまだ本当の目的が待っているのか……ハメられたのは、誰だ?)

 浮かんだ疑念を弥生に説明する暇も、他の手を思いつく余裕もなく、ワームホールは現れた。
 名残惜しく伸ばした弥生の手をハルキはそっと押しやる。その瞬間、弥生はあっけなく光の渦……ワームホールへ飲み込まれた。
 彼女が本来生きるべきだった世界へ。還るべき場所へ。
 予め存在している未来へ。

 ハルキ扮するリンタロウの時空を超えた冒険の続きは、また別の物語となる。

8弦ギター女性ボーカルロックバンドKALEIDOSTYLEのオフィシャルWEBサイト