PART2 Chapter1 –Black Market-

<前編>

 ネオ・ホンコン・シティの夜は昼間より明るい。
 雑踏の輪郭を滲ませて、赤や緑の毒々しいネオンが十重二十重に視界を埋め尽くす。容赦の無い視覚的刺激に瞳孔は痙攣し脳が麻痺する。強烈な刺激は嗅覚にも襲い掛かる。汗の匂い、燻製の匂い、ハーブ煙草の匂い、残飯臭、屍臭……饐えた匂いが街全体を覆い、溢れては南シナ海へと抜けていく。
 ネオ・ホンコン・シティには世界最大の闇市がある。大通りは昼夜構わずごった返し、行き交う人々は人種も年齢も職業も様々だ。薄暗い路地にも国籍不明、職業不詳、胡乱な顔貌の人々が溢れ蠢いている。歴史上、国家に属している時もそうではない時も、「どこにも属さない街」として多種多様な人とビジネスを受け容れ、栄え続けてきた。富が最高位の権力を持ち、どの国のルールにも縛られず、最先端のマフィアたちに守られて世界政府時代ですら自治を保ってきた。過去も未来もそうやって生き延びてきた街。
 その街の片隅に、ドア一枚分の間口の小さな店が、これまた小さな看板を掲げてひっそりと営業していた。左右の建物の隙間にドアを付けたのかというほどに狭い。赤い木枠のドアには上半分に擦りガラスがはまっていて、下半分は枠と同じ赤の板が張ってある。そこにぶら下がった看板には『時間屋えびす』の文字。電飾ではなく木製だ。ドアを開けると、上部に取り付けられていた古いカウベルが、こもった優しい音で迎えてくれた。
 ドアの幅の狭い通路の壁も天井も一面メモのようなものが貼ってあるようだが、そのほとんどが褪色し、破れ、剥がれ落ち、それと共に大部分の壁紙も剥げて漆喰が露出している。短い通路の先は少し広くなっていて、薄暗い明かりの中、ひとつだけ置かれた机の上にも床にも埃をかぶった古書が積まれている。
「あ、い、いらっしゃい」
 机の向こう側に座っていた男性が顔を上げ、眼鏡を直しながら言った。来客は珍しいのか、不意を衝かれたような格好だ。よく見ると彼が覗き込んでいたのは本ではなくコンピュータ画面だ。
「どうも。あのう、こちらでタイムトラベルができると聞いてですね」
 客の男が口を開いた。やたら長身で頭が天井につきそうだ。実際、入り口の通路は頭をかがめて通ってきていた。
「あ、はい。基本、往復で1セットで、行く年代と期間によって金額が変わるんですが……どれくらい未来をご希望で?」
「あ、未来じゃなくて過去なんですがね」
「え?あー……過去へのタイムトラベルはちょっと取り扱ってなくって……」
「そんな……どうして!?」
 女の声が割って入る。客の男が大きすぎて店の中からは見えなかったが、彼の後ろに若い女がいた。客は二人だったらしい。男を押しのけて女が部屋に入ってくる。
「過去へ行きたいの!3日、いえ、2日だけでもいいのよ!」
「そんなこと言われてもですね」
「お願い、もうここだけが頼りなの」
「あわわ、あの、お願いされてもですね」
 女の剣幕に気圧されて、時間屋はたじろぐ。助けを求めて女の連れの男を見上げるが、当然ながら彼の味方ではない。
「だってお店の広告に書いてあるでしょ?よろず時間旅行承りますって」
「ええまぁそりゃそういう商売ですんで」
「じゃ過去へも行けるはずじゃない」
「それがそのう、過去は元々この業界じゃタブーなんで」
「タブー!?ってことは、技術的には行けるということね?」
「技術的というか物理的というか」
「じゃ連れて行きなさいよ。3日前に」
「いやだからムリなんですって!」
「それじゃ説明になってないわ」
「あわわわわわ」
 既に言葉にもなっていない言葉を発して、時間屋が両手と視線を泳がせた時、ようやく助け舟が出された。
「お客さん、もう少し詳しい事情を説明していただけませんかね」
 静かな声とともに、店の奥から金髪の青年が現れた。白いシャツにサスペンダー、ツイードのズボンという古風な出で立ちだ。顔立ちも体躯も東洋人なので髪は染めているか混血なのだろう。
「どうもはじめまして。私がここのオーナーのリンタロウです。こっちは店長のエビスマル」
「リンタロウさん〜〜〜遅いですよう〜〜〜」
 泣き言を言うエビスマルの頭越しに、リンタロウは客を見据える。
 女は黒いマントに身を包み、ご丁寧にフードまで被っているので、顔の半分は影が落ちて判然としない。とても小柄だ。声は若いが甲高くはなく、しっとりとしている。
 対する連れの男はやたらと背が高い。こちらも黒っぽい服装だ。長袖の上着の襟元まできっちりとしめている。この日のネオ・ホンコン・シティの平均気温は28度。なかなか暑かろう。
「……お客さん、どちらからいらっしゃいました?ネオ・ホンコンの方ではないですね?」
「日本よ。昨日のクーデターで父が殺されて、脱出してそのままネオ・ホンコンへ」
「姫」
 連れの男が遮ったが、女は続けた。
「私は王女のミキ。彼は近衛兵のヤマトよ……昨日まではね」
 リンタロウとエビスマルは顔を見合わせた。これにはさすがの二人も驚いた。

<後編>

「タイムトラベルの『タブー』は、端的にいうと歴史を変えることにつきる。未来へのトラベルは歴史に干渉しないが、過去は否応なく歴史に何らかの影響を与える。それはつまり、未だ過去へ行っていない現在とは異なる現在を生み出し、場合によっては過去へ旅立つ理由すら消滅し、過去への旅そのものが宙に浮いた事象となってしまう。時空はそれらの整合性を取るために自ら歪む。この歪みの変数は解明されていず、歪みの大きさや方向性を把握したり予測したりすることも不可能だ」
 リンタロウはやんごとない客人に説明する。
「つまり、行こうと思えば過去へ行けるということね」
「あなた話聞いてましたか!?」
とエビスマル。
「まぁそうだ」
とリンタロウ。
「時空の歪みがどのような作用を及ぼすのか、誰にもわからない。つまり、要は、危険極まりない旅になる」
「危険は承知の上よ。こっちは命がけで来たんだから」
「貴女や我々の存在自体が消え去る可能性だってある。我々のみならず今ネオ・ホンコンにいる人々、あるいはこの世界全体が」
「…………」
 ミキの言葉が詰まった。リンタロウは続ける。
「物理的には可能だ。実際タイムトラベル実用初期には過去へのトラベルは普通に行われていた。だが旅人は皆、歴史を変えないことを第一義として慎重に行動していた。しかしどんなに気を配っても歴史は僅かずつずれていく。影響をゼロにすることは不可能だ。ゆえに」
「それはもうわかったわ」
 ミキはフードを脱いで軽く頭を振る。
「歴史は変わっていいの。むしろ変えたい。変えなくては。そのためのタイムトラベルよ」
「というと?」
「昨日のクーデターで国王が斃れた。私の父はアジア地域の総帥だった。すぐに他国の攻撃が始まるわ。クーデターを起こした民兵たちは、国軍の隙をつくことはできたけど、他国の軍隊まで迎え撃つ統率力も戦略もない。このままだとアジア全体が、軽く数十年は混乱に陥ってしまう。クーデターなんか起きてはならなかったのよ。だから私たちは過去へ戻ってクーデターを食い止める」
「クーデターを食い止められなかったのは王と政府の責任だ。起こってしまった今となっては、やるべきはその事実を受け止めて対策を練ることであり、無かったことにすることではないだろうが」
「ちょ、リンタロウさん相手はお姫さまだから!口調!敬語!」
 傍でうろたえるエビスマルのことは当人たちは勿論意に介さない。
「それは先刻承知よ。だけど世界の人工の半分はアジアにいるしここの経済が崩壊したら世界中の資源が枯渇するわ。富裕層は続々とこの星を放棄して、宇宙の開発星へと脱出している。でも開発星のキャパシティも限られているから早い者勝ちよ。やがて世界中に地球脱出の流れは広まるわ。」
「地球……脱出?」
 リンタロウが眉をひそめた。
「ええそう。有力者たちがこぞって地球を放棄したら、無政府状態に取り残されるのは民間人たちよ。それでも新しい指導者が現れて持ち直すかもしれない。これまでの歴史はそうだった。でも今はどうかしら?ただでさえ病気が蔓延して、成人の7割は毎日薬を飲まずには生きていけない。海も大気も汚れて市街を離れては生活できない。報道規制がかかっているから知らないかもしれないけど、地上の資源はとっくに底をついているわ。頼みの宇宙資源は、開発星への移住を目論んでいる人たちが手放さない。今ですら危うい均衡でようやく回っているのよ。新たな指導者を待つ前に、民は死に絶えてしまうわ」
 小さな部屋に沈黙が落ちる。
 ややあってリンタロウが静かに言った。
「……それで滅びるのであれば、人類はそういう運命なのだろう」
 ミキは言葉が継げず、かわりにリンタロウを睨みつける。
「運命は変えられない……?」
 それまで黙って聞いていたヤマトが呟いた。
「歴史は変えられないというルールがあるとして、それを作ったのは人間でしょ。タイムトラベルの技術を編み出したのも人間。だったら、その滅亡から逃れるためにルールを逸脱しちゃいけないのかと」
「ふむ……」
「クーデターは昨日。今なら最小限の『歪み』にとどめられるかもしれない」
「昨日の歴史を変えるのは、今しかないわ」
 リンタロウは天井を仰いで思案する。
「……エビちゃん、昨日のクーデターの情報を集められるか?」
「もうやってますよ」
 エビスマルは会話の途中からキーボードをパタパタ叩いている。大小3つのモニターには様々な数値と不鮮明な画像が次々と現れる。
「クーデターは本当ですね。つい今しがたですよ、ネオ・ホンコンでも報道され始めている。日本の一般ユーザーからの情報が出てこないのは、どこかでせき止められてるのかな……」
「クーデターの首謀者側の情報は?」
「それは姫君に聞いたほうが早いかも……過激派ってやつ?日本民族の権利を復活せよ、だって。確か純血の日本人って少ないんですよね?」
「ええ、元々日本は多民族の流入が少ない国で、世界政府時代も民族的な交流は少なかった地域なの。でも人口の減少で他民族……主に中華系が増えて、今は純血の日本人は一割に満たない。彼らの権利を優遇して日本民族による国家の復活を、というのが首謀者組織の主張よ」
「戦略は?お姫様」
「ミキでいいわ。人前で姫って呼ばれたらさすがに目立つし……もう姫じゃないし。細かい作戦はこれからだけど、タイムトラベルの精度によるんじゃないかしら?」
「確かにね。じゃ早速作戦会議といきましょうか。エビちゃん、看板下げてきて。今日は店仕舞いだ」
「はーい」
 エビスマルが狭い廊下の向こうへ消え、カウベルの音が聞こえた。
「ひとつ、言っておく」
 リンタロウがヤマトに向き直って言った。
「タイムトラベルのルールを作ったのは人間だが、時空のルールは物理法則だ。解明できていないだけで、ルールは存在する」
「宇宙の絶対的な物理法則ね……まさに神のルールですな。歪みを禁じたのが人間なら、歪み自体は神の手の中の法則ともいえる」
「然り。歪みもまた運命」

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